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<<少年の日>>

少年の日というのは、14歳になった少年少女を大人への階段を登り始めた大切な時期と考え、自覚・立志・健康を3本の柱に、愛媛県が全国に先駆けて始めた行事です。

 

<「少年の日」誕生の歩み>
 昭和39年、日本児童文芸家協会が提唱した「14歳立春式」に賛同した愛媛県社会福祉協議会会長、戒田敬之氏の提唱により、県民運動の一環として「少年の日」の実施計画に着手。愛媛県社会福祉協議会が主唱し、愛媛県、愛媛県教育委員会、愛媛県警察本部が後援となり、「少年の日」の実施要網を作成。自覚・立志・健康を目標とし、毎年「立春の日」を「少年の日」と決定。全郡市町村社会福祉協議会あてに実施要網を送付し、県民運動として発足。第12回愛媛県社会福祉大会において、「少年の日」を実践申し合せとして決議し、以降券か全中学校において少年の日に「少年式」が行なわれるようになった。


<「少年の日」誕生への想い> 愛媛県青少年育成協議会会長 戒田敬之

  昭和38年10月、愛媛県社会福祉協議会会長に就任しました私は、児童問題対策協議会において「子どものしあわせを守る県民運動」を提唱いたしました。
 ところが、たまたま東京において、日本児童文芸家協会が「14歳立春式」を提唱しておりましたので、私もその趣旨に賛同し、さきに述べた県民運動の一環として「少年の日」の実施計画に着手したのであります。
 そして、自覚、立志、健康を目標とし、毎年「立春の日」を「少年の日」と定めて、その実施要綱を39年の2月に全県に発送したのであります。その年は、すでに実施を計画していたまつやましの2校(御幸中学校、拓南中学校)にとどまりました。
 わずか2校とはいえ、県下にすばらしい「少年式」のお手本ができました。
 しかも、「成人式」に対する「少年式」である点、中学校一年生の入学式という感激、三年生の卒業式という希望の過度でという感激に対し、中学二年生はその中間に中だるみの時期であるので、「少年の日」という区切りを持たせるのに最もよいという点、また寒さ厳しいとはいえ、立春という自然界に春の訪れる好季節であるという点、まことに時期を得たすばらしい行事であったために、県下全中学校において「少年式」が挙行されたのであります。

 私は第一回少年の主張大会における中学二年生の藤原さんの発表を忘れることができません。藤原さんの家では、毎年元旦の朝家族そろって初詣に行くという体験談でありました。その内容の一部を載せてみましょう。

 「・・・除夜の鐘を遠く近くに聞きながら、約四キロの夜道を町並みにそって歩くのですが、途中幾度か寒さのため運ぶ足も遅れがちになります。そのたびに心にむちうって、「楽を求めながら目的を達しようなんて、少なくとも若いものの考える事ではない」という父のことばや、「苦しむところにこそ、その道は開ける」などという母の意見にしたがって、決して車などの参詣はしません。私も同感で、水銀灯に光る白い息を手にはきかけはきかけ、さすような風に凍える手をこすりながら、黙々と歩いて道後の「いさにわ神社」に詣でるのです。
 父のことばをかりれば、神社にお参りするということは形の上だけではなく、立志、感謝、心身の鍛錬といろいろの要素がふくまれているのだそうです。そのような意味で、わが家で実行している初詣では、神社の社頭においてその年のしあわせを願うとともに、新しい誓いを立てることだと私は思っております。
 私は神の存在についてはよくわかりません。しかし、少なくとも神とは、人それぞれの心の中にあるものだと理解はしているのですが、なにかに感謝し、なにかに誓いを立てることの喜びを、きょうこのごろになって強く感じているのであります。
 それはまた「少年の日」における、私たちの覚悟にも置き換えられると考えます。・・・」

 戦後の日本は、あまりにも行き過ぎた民主主義や、誤った進歩主義のため、新しい世代に伝えてゆかなければならないわが国の美しい伝統や文化を破壊し、また忘れ去っているのではないかと、ひそかに心配しておりました私は、この「第一回少年の主張大会」で発表された皆さんの主張を聞いて、これが杞憂であることを知りました。

 こうして、愛媛県における「少年の日」は着実に前進し、全県的な祝日として愛媛県の地に定着いていったのであります。昔の「元服」の故事が示すごとく、厳冬に咲く梅の花のように清らかで美しい、「14歳・少年の日」の諸行事は、愛媛県においては、「成人の日」にも比すべき大切な行事となっております。

(昭和46年愛媛県青少年育成協議会発行「愛媛の少年たち」より抜粋)