「自分らしく生きる」
- 想うことは形になる -

夏木ルミ子先生

 みなさんこんにちは。
 今日はちょっとオーバーな表現かもしれませんが、明日死んでもかまいませんという気持ちで来ました。といいますのは、私は1951年生まれで、先月52歳になりました。1951年に生まれましたけど、自分が人生を大事にしようと想ったのが14年前です。今日の少年式の大切な言葉の一つに「自覚」というのがありますが、本当に人生を大切にしようと、自分の人生をこれから愛してみようと自覚をしたのが14年前、39歳のときでした。精神的な自覚をしてから、今年は皆さんと同じ14歳を迎えました。ですからとても新鮮な気持ちで今日の少年式に参加させていただいたかなと想います。
 そして「自分らしく生きる」ということを学べば学ぶほど、人生生きれば生きるほどもっと早く知っておいたらよかったなあと、つくづく想いました。
 皆さんはアメリカというとアメリカの世界地図が浮かぶと想います。それは小学校、中学校を通じて勉強してきているからなんですね。また心臓というと心臓がイメージでき、肝臓、食道、大腸…といってもイメージできると想います。それくらいに小・中学校のの義務教育を通じて、当たり前のととして皆さんの中で知識が受け継がれています。
 それと同じように私が39歳のときに知ったとても大切なことを、義務教育の、とくに感性がやわらかいときに、みずみずしいときに、中学生の皆さんに教えたいなあ…。そして自分も中学生のときに知っていたらどんなによかったかな…、そしたら自分の39歳までの人生はどんなになっていたかな…と、とても強く、強く想いました。それが2001年の8月ごろのことです。それから半年経ちまして、義務教育の皆さんに「自分らしく生きる」という、自分が一番伝えたかったことを伝える機会に恵まれました。とてもうれしかったです。
 といいますのは、私が義務教育の授業の中でそれを中学生に伝えたいと想ったときに、いろんな方がいろいろな意見を言ってくれました。
 そのアドバイスとは、「長い年月の間ずっと決まっていたひとつのリズムはそう簡単には変わりませんよ。だから夏木先生が義務教育で中学校の皆さんにそういう授業をしたいといっても今の学校がそのような授業を取り入れるようにはなっていないので、夢はかなわないんじゃないですか」ということでした。
 そこで、決心しました。よし!10年でもいい、20年でもいい50年でもいい、自分が生きている間想い続けようと。義務教育の子どもたちに、自分らしく生きるということの大切さを教えたい。自分が生きている間自分は毎日想い続けるぞと…。
 そして自分が死んだ後で、もしかしたら100年たってその想いを受け継いでくれる人が出てくるかもしれない。もちろん出てこないかもしれない。でも出てくるかもしれない。
 だから50年でもいい、100年でもいい、生きている間に1回でもいい、義務教育の子どもたちに自分の一番の宝物を教えたいと強く強く誓いました。
 にもかかわらず、実は半年後に渡辺校長先生のご縁をいただいて、それから約1年後の今日、14歳の皆さんを含めて、13歳、15歳の皆さん約500人に、自分の一番大切だと思っていた宝物を伝える機会に恵まれました。だからこの少年式が終わったら死んでもいいなと、悔いがないなと想ったわけです。だって一生かけてかなえようと想っていたこと、それがこの2月4日にかなえられたんだもんと、実はそう想って今日ここに来ました。

 そしてもうひとつ想ったのは、九州から北海道にいたる各地で、私は義務教育の子どもたちに自分の人生を変えてくれた一番の宝物を伝えたい…とずっと言ってきました。なのにどうして、1回目も、2回目も3回目も愛媛県でその夢がかなったんだろう?とても不思議に想いました。
 少年式って広島では聞いたことがないし、全国各地にいる友人も知らないという。それで少年式って何なんだろう、知りたいと想って渡辺校長先生に資料を渡していただきました。そこで少年式の出発点を資料によって読ませていただきました。
 なぞが解けました。なんと少年式は子の愛媛県からスタートしたんです。青少年育成にすごく熱意を注いでおられた戒田さんという方が、昭和39年にふとそのように沸き上がってきた熱い想いを行動に起した。そして、できたら成人式よりも少年式のほうを大事にしたい。感性がとても豊かでそしてAにもBにもなる可能性を秘めたこの年齢を大事にしたい。できたら成人式と同じように全国の祝日になったらいいなと、そんなふうに強く想われたということを資料で読ませていただきました。
 なーるほどなぁ、だから愛媛県だったんだぁと。実はかんどうしました。
 この偶然ともいえる出会い、でも何か不思議な力が働いて、時間、空間、距離を超えて、少年式を大事にされている地域で自分の夢がかなった。本当に今日までの14年間大切にしてきた宝物、このことは本当だったんだぁと今回実感いたしました。
 結論から言います。最も人生で大切なこと、そして自分の人生を14年前から変えてくれた大切なその宝物は何かといいますと、今日参加している皆さん全員にある才能なんです。全員持っておられる能力ともいいます。それは何かといいますと、「想う」ということです。
 世界中いろんな著名な方にもお会いしましたが、100人中99人がほとんど同じことを言われます。「想う」ということはとても大切なことなんです。覚えて帰ってください。なぜなら想うことは必ず形になるからです。
 今日までの文明、文化、科学、医学のすべての進歩、進化は、特別な能力がある人が作り上げたんじゃないんです。なんでもないことなんです。「想う」ということなんです 。
 その「想う」という熱い想いが不思議な偶然を生み出し、そしてある日それが形になる。これは実は14年ほど前にある医学博士の方から聞きました。
 「想う」ということはとても大切なことで、あなたの人生が将来どうなるかは、今日からふと想うことにすべてかかっていますということを、今日の少年式で皆さんに受け渡して、プレゼントして帰っていくわけです。
 今日こられた皆さんにその言葉が響くかどうかはわかりません。なぜなら地球には約60億近い人間がいますが、60億近くいれば60億通りの価値観やものの考え方、個性があります。顔が違うようにすべて違います。だから自分の心にちょうど響くときが違うんです。同じようには響かないんです。

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 自分はそれが39歳でした。
 私はこの丹原町のような雰囲気のある広島県の安佐南区というところで生まれました。私の母は東京で生まれ育ちましたので、考え方が非常に斬新だったのです。母は今から51年前に呉服専門店を作るために、広島中をオートバイに乗って駆け巡ったんです。当時男性でもオートバイに乗る人はそんなにいませんでしたからいろんな批判を受けました。母にしてみれば必死な想いだったんでしょうが、周りは理解できなかったんでしょう。
 そんなことが理由で私はいじめられたんです。
 新聞でいじめにあって自殺した方の文章を読みますが、自分の記憶では3歳のころから中学校3年生のころまで、ほぼそれに近いいじめを受けました。そういう小学校時代がありますので、性格は萎縮してとっても消極的でした。ですから友達から見た自分の評判はトロと愚図でした。
 あんまりいじめられるので、自分はすごく醜くてだめな人間なんだなと想っていました。
自分は醜くないんだと意識したのは高校1年のときです。偶然にも自分のことをだれも知らない高校に進学したので、これでやり直せるって想いました。入学式が終わったあと教室であるクラスメートがこういいました。「あんたってさ、何か目立っていたよ」って。そういわれたとき醜くて目立っていたのかなとドキッとしました。
 そうしたらその子が「ねえ、ホントのこと教えてよ」って言うんです。
 ホントのことって、この人何を知っているんだろう?…と想ってどきどきしてだまっちゃったんです。小中学校では一度も手を上げたことがありませんでしたし、話しかけられたら、真っ赤になっちゃうような内気な性格でしたので、真っ赤になって黙ってしまったんです。
 そうしたらその子が「ねえ、ハーフなんでしょ。お父さんかお母さん、アメリカ人?」って聞いてきたんです。
 ビクビクして「日本人」って答えました。そうしたら「エー、両方とも日本人なの?ちょっとあんた、かわいいじゃん」といわれたんです。それで周りにいたクラスの子も集まってきて「かわいくて目立っていた」というんです。
 そういう高校一年生を迎えたんですが、うまくはいきませんでした。その翌日、両親がレストランでお祝いをしてくれるということで市内にでかけたんです。両親が車を駐車場に止めてくる間一人で待っていたんですが、待ち合わせの場所がデパートの前でした。そこで待っていると、自分の目の前に変なおじさんがジーと私を覗き込むんです。誰だろうと想って逃げていたんですが、よくよく見ると担任の先生でした。1回しか見てないから覚えていなかったんです。それで「何しているんだね。いくら両親とレストランへ出かけるときでも必ず制服を着用のことといううちの学校の校則知っているよね」と、こういわれたんです。たまたま制服の上着を車の中に脱いでいたんですね。非常に厳しい学校だったので、「明日学校が始まったらすぐに教員室に来なさい」といわれたんです。
 次の日教員室に行きました。当然、入学早々教員室に呼ばれた人は誰もいません。それは全校の知るところとなりました。
 その朝教室に入ると、シラーとして誰も私に近づきませんでした。
 「どうしたんだろう?」って想いました。
 そうしたら入学式の時には話しかけてこなかったある女の子が近づいてきました。幼稚園から大学まで続いている付属の学校だったものですから、小学校のときから手を焼いていたという女の子が近づいてきてこういいました。「ちょっとぉ、あんた、やるじゃん。友達になろうよ」と。
 それからは散々な高校時代でした。夢も想い出も何もない高校時代でした。
 高校1年で人生やり直そうと、どこかで自分を変えたいと想ったことも運命のいたずらで挫折し、結局付属の短大に進みました。
 短大に行くと少しは傷も癒えまして、少し明るくなりかけていたかなあという2年生のとき、卒業間際に突然熱がでまして、結核と診断されました。あと3ヵ月で卒業でしたので、大学の先生から特別に、卒業式には出れないけれど卒業証書は手渡していただき、3ヵ月から半年の間療養生活に入りました。

 当時の自分の症状では50本近く注射を打てば治るでしょうといわれましたが、どうしたことか100本打っても200本打っても元気になることはありませんでした。そして250本打ったとき結核菌はなんとか薬で包み込むことができましたが、普通だと50本の注射でいいところが5倍近い注射を打ったために、虚弱体質といって、いつも頭痛がし、37度5分くらいの熱が常にある状態になりました。
 「どういうわけかこういう副作用が出てしまいました。あなたのこれからの人生はいかに再発をしない人生を送るか、それを心がけてください。結婚、出産、仕事はあきらめてください。再発をすると15年20年寝たきりになることもあります」
と19歳のときお医者さんに言われたんです。
 それから39歳までの自分の人生は、頭が痛いのは当たり前、肩がこるのは当たり前、足は氷のように冷たいのが当たり前…という生活でした。
 そんな中でも不思議なことがおきまして偶然結婚ということがおきました。
 でも先ほど想うということが形になるといいましたよね。
 想うということは、プラスに想っても形になりますがマイナスに想っても形になりますからね。つまり想うというその心は、地獄も起しますし、奇跡も起します。
 昔から日本には「病は気から」という言葉がありますが病は気からだけじゃないんです。運命も人生も、気という想いからだなと想います。
 つまり自分は、中学校、高校、大学を通じて自分の人生どうでもよかったんです。自分の気持ちがプラスになるような環境ではなかったんです。がんばろうと想ってはつぶされる、がんばろうと想ってはつぶされる。そういう人生でしたから想いはいつも暗かったです。
 みんなはいいよねぇ、それに比べて私は…そういう想いばかりでした。
 消極的、私はだめ、なんでこんな家に生まれたんだろう、なんて自分はつまらないんだろう…と。想ってきていましたので、当然想いは形になりますよね。
 今考えると、どう考えてもたいした病気ではない、結核の初期だったのに、どうして自分だけ250本も打たなければならなかったのか、結果として虚弱体質になり、結婚も出産も仕事もあきらめなければならないと言われたのか…。
 どうして、どうして、どうして…と想いましたが、今ならわかります。そんなふうに想っていたから、自分が想ったとおりの人生になったなと…。

 そんな環境の中で奇跡的に結婚はできましたが、私はだめという想いでいますから、似たような人と一緒になっちゃったんです。実は結婚したその男性は自分とよく似ていました。出会ったころから世の中の悪口も言っていましたし、ふてくされていて、出る言葉はすべて攻撃的、破壊的、マイナスでした。でも自分がマイナスだらけですから、その男性に違和感を感じなかったんです。自分と波長が合うと想ったんです。そして虚弱体質で一生結婚できないと想っていた自分に、その男性はこういいました。「僕は家政婦がほしくて君と結婚したんじゃない、君は君のままでいい」。それはコンプレックスだらけの20年間の人生の中で、生まれて初めて言われた言葉です。それでこの人はすごく優しくて心の大きな人なんだと想って21歳のとき結婚をいたしました。
 現実は温かい家庭とは程遠い生活でした。結婚はできないといわれたのに結婚できたから幸せじゃないかと自分に言い聞かせましたが、心は、想いはとても不幸でした。
 奇跡的に子どもが生まれました。でもお母さんの心が不幸ですので、子どもを繊細に温かく導き育てることができませんでした。お母さんの想いが不幸。お母さんが自分らしくない、お母さんがみずみずしくない、お母さんがワクワクしていない、お母さんがドキドキしていない。無感動、あきらめ…。そのまま子どもがそうなりました。でも当時それに気がつきませんでした。
 自分は人生あきらめた、だけど子どもにだけは立派になってほしい、子どもにだけは幸せになってほしい、子どもにだけはたくましくなってほしい…。そう想って、塾にも行かせました。習い事もさせました。いろいろ口やかましくも言いました。
 まさか自分の想いが自分の人生を決め、運命を決め、自分の未来を決めていることに…、まさか自分の想いが子どもまでも同じ色に染めていることにぜんぜん気がつきませんでした。
 なんとかなりたいといろいろな講演会にも行き、いろんなアドバイスをもらいましたが、ヨーシ!と想うのはそのときだけなんです。三日坊主なんです。
 なんて自分は飽きっぽいんだろう、なんて自分は意志が弱いんだろう、どうして私の人生は変えることができないんだろう…と。そろそろ諦めにも似た気持ちでいました 。

 39歳のときです。子どもが午後6時ごろ自転車に足をあさまれて怪我をしました。骨が見えるくらい血が出ていましたので外科病院に電話をしましたが、どの病院も診察時間が終わりましたといって断られました。そこで最後の病院に電話をしました。それが広島にある舟木病院という病院です。自分の自宅から5分くらいのところにありましたが、でもそこは胃腸内科病院で、お年寄りと小さい子どもさんが多い病院だと認識しておりましたので、電話をする気はなかったんです。
 「いいですよ。来てください」と言われたので、子どもを抱きかかえてそこの病院にいきました。診察室に通されてから、子どもはすぐ看護婦さんが処置室に連れて行きました。自分は院長先生と診察室に残りました。診察室はシーンとしました。なんとなくいてもたってもいられなくなり、何か言わなくちゃと想い、「あのー、実は私はこれこれで、一生働けない体になっています。あれから19年経って医学も進んでいるし、何かいい治療法はありませんか?」と聞いたんです。
 そうしたらその先生が、私のほうを見ないでブスッとして答えました。
 「ありませんねッ」って。
 その言い方失礼じゃないかと、私はムカッとしまして、「どうしてですか」と言ったんです。
 そうしたらその先生がさらに怒ったようにいいました。
 「あなたの心が死んでるから」
 ますます失礼な…と想い「先生、私生きています」と言いました。
 そうしたらその院長先生は、鼻で笑ったんです。
 「僕の言っている意味はそういう意味じゃないの。僕の言う生きているという意味は、人間は未来の人生に対して、意欲と夢と希望と勇気を持ち、そして自分らしく個性的にかがやいているということなんです。自分らしく、個性的に、生き生きと、自分の未来の人生に夢と希望と意欲を持っているというのが生きているという人間の証明なんです。
  あなたのは生きてないでしょ。あなたは動物と同じじゃないですか。朝が来て、昼が来て、夜が来て、巣が汚れたから掃除をして、おなかがすいたからえさを探して、子どもが生まれたから子育てをする。どこが人間なんですか?」

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  想い出してみると、小学校3年生のときバス停でバスを待っていると、隣で全国行脚しているあるお坊さんが誰に言うともなくこう言ったんです。
 「アー、いやだねぇ、人間は。人間は死んでから天国と地獄があると思っているようだけれど、馬鹿なことを…。死んでから天国地獄があるんじゃない。生きている人間の心にすでに天国と地獄がある。それを人間は知らない。まぁー、それも仕方がないか。人間を作るときに神様は目を外につけた、だから外のことは全部気になる。外に目をつけたんだったら内側にも目をつければよかったのに…。人間の内側に目をつけたら、人間の心を見ることができるのに。人じゃなくて、自分の心や、自分の言葉遣いや、自分の行動を見ることができるのにね。…」
 そのお坊さんは禅のお坊さんでした。後で調べたんですが、禅のお坊さんの貴重な言葉に
 「人間はその人その人で、その人なりにちょうどいい時期が来たときに、その人がほしい答えはちゃんとあたわる。その人の期が熟したときにあなたの指導者は現れる、必要な言葉が聞ける」
というのがあります。
 自分はそれが39歳のときだったなあと想います。

 自分は指導者といわれるような人の話はいろいろと聞きました。しかしお医者さんの話はきいたことがなかったんです。人生どう生きるべきか、人生にとって大切なことをまさか内科胃腸科病院のお医者さんが言うとは想っていませんから、自分にとってはものすごくインパクトのある言葉でした。その言葉が60兆個の細胞全部にいきわたったんです。その瞬間、その先生が言われました。
 「いいかね、人間の中には無限の可能性がある。その可能性のスイッチを入れたければ、人間はどう想うかだよ。人間の気持ち、人間の心で想っていることが形になるそのなぞは、それは自分の中の可能性にスイッチが入るからなんだよ」
 ところが先ほども言いましたように、無限の可能性にスイッチも入りますが、別の破壊と破滅にもスイッチが入ります。

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 もっと簡単にいえば、畑に種を蒔いたとします。この畑にはきゅうりを蒔こう、こっちの畑にはなすびを蒔こうと想ったとします。そうすると人間はAという畑にはきゅうりの種を、Bという畑にはなすびの種を蒔きます。必ず芽が出て花が咲いてAの畑にはきゅうりがBの畑にはなすびの実をつけます。
 実はそれと同じです。自分の人生の畑にきゅうりがなるか、なすびがなるか、それともメロンがなるか。
 自分はどうしたいか?です。自分は人生においてどういう畑を作りたいかです。毎日朝から夜まで想っている「自分がどうしたいか」という想いなんです。その想いをその先生によって知りました。
 そのときが本当に自分のタイミングだったと想います。
 皆さんも迷ったとき両親や友達や先生…誰かに相談しますよね。私も迷ったときその舟木病院の院長先生に相談しました。すると、必ずこういいました。
 「そうだね、君はどうしたいの?」と。
 「迷っているから相談しているんですけど」と言っても「君はどうしたいかが問題です」と答えてくれました。
 子供のとき「君はどうしたいのかね」と聞いてくれる大人はいるかもしれません。ところが30歳になり、40歳になり、50歳になり、ある程度社会的な地位や肩書きを持つようになっても、「君はどうしたいのか」と聞いてくれる人はいるでしょうか…。

 実はこの言葉はすごく大事なことです。最初は「君はどうしたいのかね?」と投げかけてくれました。そのうち、自分自身に問いかけるようになりました。人間は両親や友達や多くの人に囲まれています。でもいざというときはたった一人なんです。そのたった一人のとき、誰も助けてくれません。周りはいろいろと意見を言う、でも自分がどうしよう…と迷うとき、自分が自分に対して「夏木ルミ子、あなたはこの問題をどうしたい?人がどうとかじゃない、あなたはどうしたいの?」と自分で自分自身に言ってきました。
 2000年前から大事にされている中国のことわざがあります。「どうしていいかわからないとき、自分の内側に三度聞きなさい。あなたはどうしたい?あなたはどうしたい?あなたはどうしたい?必ず答えが返ってきます」つまりそれはひらめきとして、気づきとして返ってくるんですね。
 この話はある本からですが、約100年近く前、一人の人が空を飛んでいる鳥を見て、人間も空を飛べたらいいなあと無邪気にそう想ったそうです。そう想うのに、学歴も肩書きも家柄も年齢も性別も関係ないでしょう。その人はすごく飛びたかったので鳥を研究し、とりのような羽を自分の背中につけてがけから飛んだそうです。大怪我そしたそうですが、それでもあきらめずに飛びたいと想ってその人は人生を終えたそうです。
 それから何十年かたち、その人と何のつながりもないライト兄弟に気持ちが以心伝心しました。自転車の会社をしているうち人間も空を飛べるはずと研究を始めました。それは世間の知るところとなりましたが、ある有名な物理学博士がライト兄弟のところに尋ねてきてこういいました。「空気より重いものが空中に浮かぶはずがない。そんな無駄なことは止めてもっと仕事に専念しなさい」と。物理学博士が懇々と理論を言ってライト兄弟を説得しました。
 そこでライト兄弟がそうか!と想ったら、いま飛行機は飛んでいないでしょう。しかしライト兄弟は、空を飛びたい、やってみないとわからないと強く強く想ったそうです。
 ついに完成しました。二人で乗ったグライダーのような飛行機は数メートル飛びました。
 ライト兄弟はそれで終わりましたが、もっと長く飛べないだろうかと次にリンドバークがパリからニューヨークに一人で飛びました。でも一人ではなく、もっとたくさんの人を乗せて飛べないだろうか?そう想った人がいました。次にもっと早く飛ぶことはできないだろうか?と想った人がいて、現在の飛行機があります。

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 人間が脳細胞と健康な体を持っていれば、誰でも持っている「想う」ということが、自分の中の無限の可能性にスイッチを入れることができます。
 スイッチを入れて人生を終える人もいる。スイッチを入れないで人生を終える人もいる。そしていつも愚痴をいい、人を責め、いじけて、人の才能をうらやみ、自分を過小評価し、マイナスの人生を終えていく人もいる。
 人はどちらの人生も与えられています。その人の個性を花開かせ、本当に無限の可能性にスイッチを入れて、60億分の1の確立で自分らしく生きたいものです。生命力あふれる創造、記憶力、集中力、持続力、統率力、分解力、理解力、読解力、指導力、そういったものは全部自分の中にあります。
 こうなりたい、ああなりたい、もっと集中力がほしい、もっとがんばりたい、自分らしく生きたい、自分らしく個性的に生きてみたい…。その結果、中から出るものは、実は世の中の役に立てるほどのありとあらゆる能力なんです。人をいやし、人を勇気づけ、人に希望を与え、人に夢を与える、そんな能力が自分の中にあります。
 想うということは形になります。でもプラスに想っているのか、マイナスに想っているのかが問題です。自分たちはそんな財産を持っているんだということをぜひ肝に銘じて、また5年後、10年後、20年後、30年後の皆さんの活躍を見てみたいと想います。
 そして39年前に戒田さんという方が想いを込めたこの少年式を、できたらずっと継続していただきたいと想います。できたら全国に広がっていったらいいなと、そんな想いを込めましてこれからまたがんばっていこうと想っております。
 またお会いいたしましょう。今日はどうもありがとうございました。

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