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“自分らしく生きる”
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<<いやしにつて>>

            
              <安らかな最後を迎えたい>
           −医者である患者の死の受容のプロセスを通してー   
                 舟木病院看護師スタッフ

はじめに

 患者の強い願いは「ろうそくの火が消えるのを待つような安らかな最後を迎えたい」でした。
 医師である患者が、一人の患者として変化していくプロセスの中で、私たちは本当の自分らしさについて検討した結果を報告します。

症例紹介

 63歳、整形外科医。食道癌を発病し、放射線治療と手術をうけるが再発。入院機関は4ヵ月半。

経過

  患者は医師である故に、出血や痛みで苦しみながら最後を迎えることに不安をもっており、「僕のさいごはどうなるんだろうね」「人工呼吸器はつけないからね、挿管(緊急応急処置)もしない」「安楽死をどう思う?眠っている間に逝くのが一番いい。だけどな、苦しくないのが一番いい」といわれていました。
 まもなく、疼痛が増強し、不眠がみられるようになったので、私たちは、まず症状コントロールを重点的に行ないました。
 深刻だった患者に、気分転換をはかるため外出や外泊を薦めましたが、妻が患者を気遣うのがかえって負担であるために応じられず、仕事の整理(業績)もしようとされませんでした。
 主治医から再発の説明を受けたころから、患者は医師としての威圧的な言動が増え、例えば、ナースの行為に対して細かく指導したり、ナースとしてこうあるべきというあり方を要求してくるようになり、それに対し、私たちは強いストレスを感じ、患者との関係は非常に緊迫したものになりました。このような患者の言動や表情から、安らかな最期が迎えられるとはおもえませんでした。
 患者の本音を知りたいと思いつつも、私たちは毎日の清拭、洗髪、足浴などのスキンシップを通して、また、何らかの患者の意に添うことでしかコミュニケーションを図れずにいました。
 そんな中、「自分らしく生きる」という講座をきいたことをきっかけに、私たちは自分自身を見失っていることに気づき、まずは、自分自身のあり方を振り返り、自分は一体どうしたいのか、一人一人が自分自身をみつめるようになりました。
 結果、患者にとって、本当の安らかな最期とは・・・という原点にかえり、そこから「何かをしなければならない・・・」というナースとしての使命感ではなく、「自然に沸き上がる温かな想いを大切にしたい・・・」という想いへと変化しました。
 患者からはいつしかナースへの威圧的な言動はみられなくなり、両者間の関係はおだやかになっていきました。患者は「僕はね、たくさんの嘘をついてきたんだ。患者さんにも、そして家内にもね・・・その嘘が多すぎてつらいんだ・・・。僕の人生、むごかったよ・・・」と多くの患者とのかかわりを悔いたり、献身的に支えてくれる妻に対して、夫としての自分を反省する言動がみられるようになったり、また仏教の本を何度となく読み返し、お経を唱えたりする場面もみられました。
 亡くなるまでの時間は、更に妻といるときを大切にされ、私たちはそんな患者と妻の関係を見守りました。
 最期は家族に見守られながら息をひきとられましたが、意識がなくなる直前には「これでいいんだ、これでいいんだ」という言葉を妻に残し、妻は「本当に苦しまずに、最期を迎えられたことで悔いはありません」と私たちに話してくださいました。

考察

 医師として業績を残してきた患者にとって、発病をきっかけに人生を振り返り、一人の患者として死を受け入れていく過程は、苦悩の日々だったと思われます。
 当初、私たちは患者からのするどい言動に一喜一憂し、ナースとしてのあり方を主張されると、ナースとして試されている感覚を覚え、ナースとして患者に受け入れてもらいたい、正しい答えを返さなければならない、無意識にそう思い、普段の私たちらしさはどこにもなくなっていきました。そんな私たちと患者との間にあった緊迫感からは、患者の本当の気持ちや痛みを知ることは不可能だったと思われます。
 自分らしく生きるという講座をきいたことをきっかけに、私たちは自分自身を見失っていることに気づき、まず、自分の内側を見つめること「自分がどうしたいのか」「どう関わりたいのか」を大切にすることから始めました。
 患者の言われるがままに患者に合わせていた私たちは、いつしか患者の苦悩の中に引き込まれていて、「燃え尽き症候群」とも思われる入り口にいたのかもしれません。
 自分らしく関わりたいという想いに変わってから、想いを深めるだけで、医者対ナースとの関係から一人の人間としての関わりへと変化がみられたのではないかと思われます。何かをしたという形あるものではなく、形のないもの=想うことの大切さ・・・です。
 今回の患者へのアプローチは、それぞれのナースが想い想いに関わったことであり、チームとして、どうであったかという課題が残されました。そこで、デスカンファレンス(患者が亡くなったあとの話し合い)を行い、その中で、「患者からナースとしてのランクを一人一人につけられている様な気がして苦しかった」「自分の関わり方をほかのナースと比べていた」という勇気ある発言が得られました。
 これまでは、患者に焦点が当てられたカンファレンスがほとんどでしたが、今回、ナース側のこころの反応を分かち合えたことで、気持ちが楽になり、自然と癒される結果となっていたのではないでしょうか。このカンファレンスから、チームワークとは 1.一人一人から始まる・・・自分自身がどうありたいかを絶えず集中し、自分らしくあること  2.そこに、個人を尊敬する温かい想いがあること 3.どんな些細なことでも分かち合える雰囲気があること 4.そして、みんながひとつになることを学びました。
 最後に、「安らかな最期を迎えたい」という意志の投げかけにより、自分自身の大切さを知るきっかけをくださった患者さんとの出会いに、ふかく感謝したいと想います・・・。