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発想の転換


 世界で初めてデパートなるものを作ったのは、あるパリの夫婦だったといいます。買うために入る店という観念を一挙に打ち破った、斬新な発想だったといいます。
 
人は外に出て散歩します。川や町並み、人、家々の庭に咲く花々を目で楽しみながら散歩します。それとまったく同じ状況を商品で作り上げたのがその夫婦が考えたお店、つまり今のデパートの最初だったといいます。外を散歩する速さで歩けるお店、というわけです。木々や花々の代わりに商品が並び、それを散策する感覚にしたわけです。敷居の高い売り方をする商品を、庶民が楽しむ場に作り変えたその発想は、当然アッという間に広がっていったようです。手の届きにくいものを届くものに,不自由なものを自由に、というように時代によってそれを考え出す人がいることには頭が下がります。

 自分は小さいときからなぜか未知なるもの、不思議なものに興味がありました。未知なるもの以外にも、歴史に名を残した偉人たちの生い立ちにも、とても興味がありました。興味というより、疑問の方が強かったようです。
 
なぜ、そういう発想が生まれたのか?
  なぜ、人は凡人と、非凡な人に分かれるのか?
  なぜ、不幸な人と、幸せな人がいるのか?
  なぜ?なぜ?の人生でした。そして一番の疑問は自分でした。なぜ、こんなつまらない人間なんだろう?
  小学校三年生のとき、カトリック教会に縁がありました。一生懸命通いましたが言葉にならない疑問は消えませんでした。あるとき、思い切って神父さんに聞きました。「なぜ、この世には良い人でも不幸な人がいて、悪口を言う人やわがままな人でも幸せな人がいるのでしょうか?」と・・・。
  神父さんは聖書をいろいろ引用し、最後に「キリストはこう言うでしょう。右のほほを打たれたら左のほほを出せよ・・・」というようなことを言われました。「違う!納得できない。そうじゃない!自分が聞きたい答えは・・・」と心で叫びました 。
今振り返ってみると、そのときから心にわきあがる疑問を知りたい願望は消えていなかったようです。消えるどころか、心の奥底で燃え滾っていたようです。
  「星に願いを、いつかは叶う・・・」という歌ではありませんが、39歳のときに、言葉に表せない疑問を納得させてくれる出会いがありました。その人物は医師でした。今日まで出会った人たちが、難しく遠回りに説明する人生哲学、説法、真理を、小さな子供にも理解できる言葉で説明してくださいました。つまり、敷居の高いものを庶民に理解できるようにして下さいました。そして、以前神父さんにした質問と同じことを聞きました。
 
その医師はこう答えました。「人間の善悪は、外見だけではわからない。人間には心というものがあって、内面の心の反応が日ごろどうだったのか?それによる因果律(原因あっての結果)というものが起きる。身口意(しんくい)という言葉がある。意(思うこと)は必ず口(言葉)になり、そして身(行動)となって現れるもの。どんなに心を隠していても、言葉と行動を見ていると、その人が日ごろ何を思って生きているのかがわかる。結果として、現実が起き、運命が決まる・・・」
  「外見だけを見ていたのでは不公平に見えることがある。一番大切なことは心の反応だ・・・。だからこそ人はだませても、自分はだませない。心を良く見るように・・・」と、教えて下さいました。つかみ所のない言葉ですが、言葉の奥にあるものがなんとなく感じ取れ、すごく納得した実感でした。
 
あれから10年以上が経ちました。さらにそれを実感しているこのごろです。39歳まで私を悩ませた疑問は、今までどこを探しても影も形もありません。一番うれしいことは、自分がこんなに興味深い人間だったのかということです。その医師から伝えられたものは、自分の無限の可能性のことだったのですから・・・。


かがやく女性の輪代表

夏木ルミ子