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コンサート


ー「第一章 医の原点を語る」ー

<自我>

 

 いまから約2500年の昔に、ヒポクラテスという人がいました。医学の父といわれています。「医者は自然を補助するにすぎない」という有名な言葉を残しています。この言葉は奥の深い言葉です。自然治癒力のことをいっていますが、科学が進歩していない当時のことですから、当然といえば当然かもしれません。しかし現代に通ずる言葉として意義の深いものです。
 古代中国では、神農という伝説的な人がいたといいます。生薬として草花などを体系化していった人物と思われます。いろいろと多くの生薬の分類をしていき、今日の漢方薬、東洋医学の基礎ができていったようです。
 一方では西洋医学として、人体解剖を主体とした医学が進歩しながら今日の診断学の発展をきたしたようです。
 どちらも物質追求として成り立っていることを、忘れてはいけないと思います。つまり東洋であれせいようで西洋であれ、物事の成り立ちを病気という概念を通して、あくまで薬など物質を追求していることを忘れないようにしたいものです。
 今日の東洋医学や西洋医学を見ていれば、はっきりとどちらの医学も、人間に発生する病気を唯物的思考でとらえていることになります。この思考のなかで医学は進歩していったといえます。さらに医学はこれからも進歩していくことにまちがいはありません。
 歴史のなかで彼らは、いったいなにを得たのでしょうか.......。日本では医学的科学水準は、世界的に有名になっています。この現実的な成果は、大変にうれしいことです。彼ら医学者は科学的医学の進歩のなかで、いったいなにを得たのかと思わずにはおれません。
 科学を進歩させてきたエネルギーは魂からのものです。人間の人知ではありません。自分のエネルギーではなかったのです......。
 このようなことを言えば、あなたがたは「そんなことは当たり前ではないか」とか「そんなばかなことはない」とか言われる。まだまだ、心の殻をもっている人達が多いようです。
 魂は医学を超えて実在しています。つまり科学を進歩させていく偉大なエネルギーは、すべて魂からのものといえます。科学がいつまでも進歩していくのは、人間のなかに実在している不思議な力によってなされていきます。この不思議さを実感として受けとめることのできる人達が、尊い人達です。さも当然として生きている哀れな人にならないように、自分を魂に向けて生きるこころの姿勢が大切と思います。
 医学はあなたがたに病気というものを克服するために、補助的に物質的努力を与えてくれています。その病気を克服して生きるためには、いまのあなたがたのこころが科学一辺倒の概念の強いこころでは、いかなる努力もまったく意味のないものになってしまいます。
 科学の恩恵に授かっているのは、あなたがたも私も同じことがいえます。あなたがたと私の大きな違いは、魂という存在に目覚めている私と、目覚めていないあなたがたとの違いです。どうぞ私が書いているこの文章に、反発なさらないようにこれからも読んでいってください。
 魂という存在は医学を超えている存在です。形式や教条主義のないこころの状態によってあらわれてきます。管理主義のなかでは魂は輝くことが少ないようです。こころにいつも殻があると、その殻にも気づかない人達があまりにも多いようです。こころの殻とは、さまざまなとらわれのことであり、無意識に嫌な癖としてあるものです。

 診察室に入ってくるなり、いまにも自分が一番偉いというような、我を張った雰囲気で話を始めた人がいました。
「先生、以前から体が痒くなるのです。アレルギーだといわれました。お医者さんにいけば体質だからしょうがないと言われます。わたしゃあ、なにか原因があると思っています。体質だからと言われても、それじゃあ、困りますよ。いままで私は家族のなかでも周囲の人達のなかでも、人にお世話をしたり良いことをしているのに、私は悪いことは全然していないのに.........」と、こんな具合に訴えてこられました。
「アトピー、喘息などのアレルギーは心因性反応といって、こころの世界を考えていかないと体質はかわりませんよ」と言いますと、その人物は大変不服そうにして聞いていました。さも私はなにも悪いことをしていないというようにです。
 すでにあなたがたは、私がいま書いているこの文章のなかから、なにを言っているか理解できる感性をもっておられると思います。この人物は自分中心に生きている典型的な人だと理解できますか........。ごく当たり前のようなこの会話も、そのなかに普段のこころの在り方や、その人間の悪因としての雰囲気がいっぱい漂っています。
 入ってきた雰囲気と言葉遣いに、私ははっきりと言いました、「あなたはいつもそのような話し方をしているのですか。こころにトゲがあります。そんあにトゲを出さないでください。周りがキズついてしまいますよ」と。
「先生、そのように言われても性格ですから仕方ありません。職業でいつもこのように話をしなければならないのです」と、さも当然と自分に悪いところはないような言い方です。
「Aさん、お釈迦さんという人を知っていますか」
「えっ、うふふ、それは知っていますよ」Aさんは私の言葉に、はっきりと答えることをせず、馬鹿にしたように言いました。
「お釈迦さんといわれる人は、生まれながらの性格をかえて人生を生きた人です。どうですか、あなたもそのような生き方をしてみたら.....」
「それはそうかもしれませんが、私はそんなわけにはいきません......」
 いつしか自分の意見しか頭にないようになった哀れな人物の姿が、以上の会話の中に見い出せると思います。自分しかない哀れな人生は、暗い因果律(原因と結果の法則)をすすむことになります。

 ある時期からアレルギーとなってしまい、喘息やアトピーになった人がいました。
 そのアレルギーを完治させるために魂の話をしたところ、「魂!そんな話はいあままで聞いたことがありません。急に言われても、わかりません」と、あいかわらず知らないことが当然であり、もっと違う理由を知りたい素振りです。
「あなたのそのアレルギーは、あなたのあこころをかえれば治ります」
 この言葉はあきらかにその人物の癇にさわったようです。そんな話を聞きに来たのではなく、もっとほかに原因があると、いまにも言いたそうです。聞くところによると、食事には神経質なくらいに気をつけているようです。いままで自分中心にいろいろと考えて行なってきた結果がいまの現実ですから、素直にまことのある言葉に耳を傾けてみればよいのにと思わずにはおれません。
 とうとうその人物は、原因を言われても受け入れることができずに、「わかりません、先生はなにも言ってくれない」と言いながら不満そうに帰って行きました。
 いかに自分中心に生きているか、反省できる人ならば、体質も必ず改善していくと思います。おそらくこれからも自分の都合のみで物事を解釈して、「自分はまちがってはいない、あれが悪い、これが悪い、あいつが悪い」と言いながら生きていくことでしょう.......。

舟木正朋

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